聖地ツアー紀行文

<ハワイツアー紀行文>

~2007年 夏~ 沢渡和
今回もイルカ達から相変わらずの大歓迎を受けました。特に初日は盛大な歓迎パーティーを開いていただいた感があります。
もう15回以上イルカとともに海で泳いでいますが、私たちと泳いでいる最中にあんなにも繰り返しジャンプをするイルカ達を見たのは、今回が初めてでした。ツアーを開催するごとに、イルカとのつながりが深く確実なものになっていきます。友人から親友になっていくかのようです。
ツアーの回数も重ねているため、イルカツアーの参加が2回以上になる人も増えてきています。そうした方々も含めてより強固なつながりがakuaとイルカ達との間には生まれています。
今までのイルカとの遭遇率は完全に100%です。ハワイ島の平均は60%です。まして、ドルフィンスイムが出来る確率は、その半分の30%程です。自分達が言うのもなんですが、akuaのイルカツアーはもはや伝説となりつつあります。ハワイ島全土のなかでもその日イルカにあえたのは私たちの船のみ、ということも今までに何度もありました。
akuaのイルカツアーには、今のうちに無理してでもおいでになるといいと思います。
アメリカ全土でドルフィンスイムが禁止・規制される動きがあるからです。
確かに完全に野生の動物と一緒に、野外で遊びながら啓発しあえるのは、イルカ以外ほかにはないでしょう。多くの人がドルフィンスイムに殺到しつつあるのも無理はありません。ここ3年の間だけでもドルフィンスイムに出航するボートの数はざっと3,4倍以上になっています。禁止・規制も時間の問題かと思います。少しでも早く参加されることをおすすめします。

~2007年 夏~ 智穂ゆり子
自然界の存在は、皆さんがハワイ島という地で溢れんばかりの自然のエネルギーを全身で浴び、感じることを願っています。
非日常的な環境にご自身を置き、ハワイのマナに触れ、緑や海やイルカなどあらゆる存在を感じたとき、あなたの潜在意識で、癒しの鐘が鳴ることでしょう。
イルカと共に海に包まれたとき、身体全体を潮の流れがあなたをサポートしていきます。
イルカの声を耳にしたとき、あなたの中に安心感が生まれます。
イルカと共に泳いだとき、優しいまなざしがあなたを守ってくれます。

イルカたちは、より多くの方とのコミュニケーションを望んでいます。
いつでも、あなたを待っているのです。
あなたもイルカたちと、ハートのキャッチボールを体験してみませんか。

~2006年 冬 智穂ゆり子~ 
  船に乗り込み、海に出た。 今回は、新しい真っ白な船だった。
船着き場を出ると、すぐにウミガメが迎えにきてくれた。 最初はドルフィンスイムならぬタートルスイムと相成った。 
ゆっくりと優雅に泳いでいるウミガメと一緒に、リラックスして泳いでいく。
  色とりどりの魚たちと共に。

船を沖に進める。 海はとても静かで穏やか。 スーッとイルカ達が近づいてきた。
  のんびりと漂うように泳いでいる。 泳いでいると言うより、浮かんでいるといったほうが相応しい。 波の流れにすべてを任せて、ただ浮かんでいる。 

私たちが海に入ってからもイルカの様子は変わらなかった。
  いつもは「遊ぼうよぉ」と言って、私の横を勢いよくすり抜けたり戻ってきたりという様子なのに、今回は「一緒にいましょう」と、近くをずっとゆっくりと泳いでいる。 
本当に、ただ浮いているだけのイルカ達。 漂いながらふんわりと水の流れを楽しんでいる。
  なので、いつもより近くにいる時間がとても長かった。 
親密度がますます高まった。
  皆も写真を沢山撮ることが出来たようだ。
次回は、どんな泳ぎをみせてくれるのだろう。
ワクワク、ウズウズする。 
            

~2006年 冬 沢渡和~
今回も数々の素晴らしい生命との出会いがありました。イルカやクジラばかりでなく亀やマンタとも泳いだのです。
今回の旅は、私にとって静かで深く瞑想的なものでした。セドナツアーでもイルカツアーでもその日程を決める際は、その土地やイルカとつながったり、占星術を見てもらったりして最終的に決定していきます。今回は11月の12日の週に開催するか19日の週のどちらに開催するかで最後まで悩みました。どちらの週にしても多くのイルカ達が待っていてくれることは確信していたのですが、それぞれの日程によってどのような違いがあるのか、ということを大切にしたかったのです。12日の週であればより楽しく戯れる感じの旅に、そして19日の週であればより深く参加者の内面に働きかけ時間をかけて大きな変化が起きてくるような旅となる。そう智穂さんがイルカ達とつながりながら教えてくれました。
結局19日の週としたからでしょうか、海も静かでたおやかでした。そして私たちをいつにもまして優しく受け止めてくれました。海の生物たちもあたかも瞑想しているかのようにゆったりと漂っていたのです。

イルカたちも、ほとんど止まっているかのように私たちと泳いでくれました。まるで宇宙全体が瞑想をしているかのような、内に深く入っていくエネルギーがハワイ島に満ちていたのです。

その静けさはまだ私自身の内部でも続いています。
   
~2005年 夏~ 沢渡和
【 ハワイ島到着日 】
ハワイ島到着日は、到着したその足で、水深5メートルのプールに行きシュノーケリングの練習を2時間ほど行った。多くの参加者は泳ぎも達者でシュノーケルのレッスンそのものも、とても楽しいものとなった。レッスンのコーチは前回のツアーでお世話になったアンジェラという素敵な女性で、私たちのグループのことを分かっていてくれたことも幸いした。
今回はイルカとの出会いを3日間設けることとした。参加者の方々に、海に、自然に、還って欲しかったのがその目的だった。古代レムリアの時代、私たちは自然と一体化していた。そして個々人はその内に「自然なる秩序」を宿し実践していた。だが現在、あまりに自然から離れた生活をしているなかで、多くの肉体の細胞はその叡智を花開けないでいる。海の中に3時間も4時間もいるということが極めて珍しい生活環境のなかに、私たちはいる。だが非日常的なまでに自然に深く浸り、細胞が、自然からもたらされる叡智をひとたび思い起こすならば、おそらくもう後戻りは出来ない。そんな願いも込めて、3回のイルカツアーを企画した。このツアーは「古代レムリアの記憶」に触れる旅でもあるからだ。

【 イルカとの出会い第一日目 】
イルカとの出会いの初日の朝を迎える。朝7時にロビーに集合し、ホテルの芝生の上で円になって瞑想を行う。やや曇りがちだった空が瞑想の最中に晴天に変わっていく。何ものかから祝福されているようで、心地良い感じが私たちを満たしていく。ハワイの朝は「すがすがしい拡がりと暖かさ」を合わせもっている。瞑想の最中、参加者の多くがすでにイルカ達を間近に感じていたようだ。
 船に乗り込み出航してから、皆で簡単な自己紹介を行う。爽やかな風が皆のほほをなでている。私たちの自己紹介が終わると、すぐに「次は僕らの自己紹介の番だ」といった感じでイルカ達がどこからともなく現れ華麗なジャンプを披露してくれる。イルカとは何度も何度も出逢っている私ですら、感謝の念で胸が一杯になる。
何か特定のものへの感謝ではない。こうして奇跡を創り出しているイルカ達や天界、ここに居合わせている皆、ハワイという土地や光、そして遠い過去からの生命の営みがこの瞬間に凝縮されている感覚、広大な宇宙の営み全体がこの瞬間を形づくっている感覚。そうしたものすべてへの気付きと感謝の念なのだと思う。
イルカは群れで行動している。その群れも重層的だ。2~5頭のイルカを最小単位として20頭前後の群れを形成している。彼らはテレパシーで交信しながら行動計画を順次策定していく。共同創造の姿を最も純粋に、最も完全に私たちに見せてくれる。
あっという間に私たちの船は20頭前後のイルカ達に囲まれていく。そしてその数はどんどんと増していく。他の群れとテレパシフィックに連絡をとり、どこからともなく新しい群れが合流してくる。彼らの美しさには圧倒される。すべてが流れと美しさと歓びをまとっていくマジックだ。私たちが最も手に入れたいマジックだ。

皆、その後海に入り彼らと思う存分泳ぐ。当たり前だが、彼らの泳ぎは早い。だからお願いをする。「私と一緒にゆっくり泳いで」と。すると彼らはスピードを緩め始める。目を合わせてくれる。微笑んでもくれる。私たちが歓び楽しみ謳歌することが、そっくりそのまま彼らの歓びであり楽しみであり謳歌なのだ。そしてそのことがまたお互いの歓びを高め合っていく。何人もの参加者が海のなかで自然に涙が出てきたことだろう。イルカとわずか1メートルほどの距離で、90分以上一緒に泳いだだろうか。身体の細胞すみずみに彼らの鳴き声と海のエネルギーが浸み込んでいく。

その後も湾にいき、再び1時間程彼らと泳ぐ。泳ぎながら考えた。一体彼らはいつから私たちを待っていてくれたのだろう? 昨年別れの挨拶をしたときからだろうか?
  なにしろ今、わたしたちのもとにハワイ島中のイルカが集まってきている様相を呈しているのだ。彼らは心から歓迎してくれていた。ツアー後に10代の参加者が言っていた。
「これからはイルカのように生きたい。」

彼らは特別な存在だが、特別な能力に秀でているわけではない。ただ在り方が特別なのだ。誠実で自然で天真爛漫で、そのくせ全てに気付いている。誰もが出来ることばかりのはずだ。その大切さに気付いていなかったから、私たちはそうしたことが出来なくなってしまったのだろうか。

1回のクルーズで2回以上イルカの群れに出会いともに泳ぐことは、極めて珍しいとハワイでは言われている。しかも泳げたとしても多くの場合数分から10分程度だったりする、とキャプテンから聞かされていた。akuaのツアーでは結果的に毎回、1回の航海で2回以上の多くのイルカの群れとともに1時間以上に渡って泳いでいる。そればかりか今回はクジラとともに泳いだ。体長4,5メートル弱はあっただろうか? 何頭かが沖合を親子で泳いでいた。

2度のドルフィンスイムのあとに、キャプテンが「今日は特別な日のようだから、うまくすれば沖で大きな大きなイルカが見られるかもしれないから見に行こう」と提案してくれた。 私たち以上にキャプテンが見てみたいようだった。

沖にいくと私たちを待っていたかのように、ゆったりした優美な泳ぎで彼らはやってきた。ザトウクジラほど大きくはないがイルカほど小柄でもない。その泳ぎはまるで、「宇宙をひきつれて生きているようだ」った。
私は当然のように彼らと一緒に泳ぐつもりでいたのだが、キャプテンは船を止める様子がない。「泳がないの?」とキャプテンに聞くと、ここら辺は鮫が出る、とのことだった。「でも僕は泳ぎたい。」と少しダダをこねると船を止めてくれた。「鮫が出たら教えるから、皆でまとまって泳ぐように」とキャプテンから忠告を受ける。

2,3人は一緒に来るかなと思ったら、2人を除いて全員が海に入ってきた。誰も怖がっている様子がない。私は今までは最後に海に入っていたのだが、今回は様子を見るためにも最初に海に入る。
するとクジラたちがみるみる近づいてきた。私も2メートル程までに彼らに近づいたとき、イルカとは違うあまりの大きさに一瞬たじろいでしまった。あのまま泳いでいったらきっとぶつかっていただろう。クジラの口に入ってピノキオになってしまったのだろうか。

彼らはバンドウイルカと異なり、静かな力強さと圧倒的な母性を内に秘めている。鳴き声もずっしりとしたものだった。あえてエネルギー的に似ているものを探せばオーストラリアのウルル(エアーズロック)だろうか。クジラたちも遊んでくれた。私たちに合わせて、よりゆったりと泳ぎ、会話し、見つめ合った。上下に潜行したり去っていくかと思うとまたこちらに戻ってきたりと、優美な瞬間の連続だった。時間も音も空間も、確かにあるのだがなくなっていくような、すべてが虚空に還っていくような不思議な場だった。

初日はこうして終わった。

【 イルカとの出会い第二日目 】
初日が大成功に終わったのは一体どういうことだったのだろうと思っていた。akuaは参加者やクライアントに恵まれている。真剣で一所懸命で、でも軽やかな方々に恵まれている。何人かが集まるととても心地よく楽しいのだ。この仕事をしていて良かったと思う瞬間だ。akuaは天界からも愛されている。日々が奇跡の連続で、どんな奇跡が起きたのか二人ともいちいち覚えていられない。天界はあるいは参加者も含めた私たちは、ハワイのこの地で、今回、何を創造しようとしているのだろう?
こんなことを考えながらドルフィンスイム2日目の朝を迎えた。初日と同じように朝芝生で準備体操をしてから瞑想をする。ケアウホウ湾というハワイ島の聖地を望む芝生の上での瞑想は、自然に、イルカたちのエネルギーに通じていく。宿泊先が高級リゾートホテルであることも、皆の気持ちにゆとりをもたせていく。そして瞑想中に再び朝日が私たちを照らし始めた。

船に乗り込み出航したとき、すぐに気付いたものがあった。雲と光。マスターも含めて天界の存在達は、雲の形をとって私たちにメッセージを送ってくる。大きな大きな雲が、真っ二つに分かれて輝いていた。同じ大きさで南に向かって伸びていた。2つに分かれたその間から太陽の光が差し込んでいる。海は光を受けキラキラと輝いていた。南に伸びる2つの雲が切れる先では、太陽の光が幾重にも光の柱をおろし、海を照らし出していた。

今日の航路は自ずと決まっていた。二つの雲の切れ間を突っ切ったその先に、イルカ達が待っている。いやイルカ達だけでなく、あらゆる天界の存在も! 今日、私たちはイルカと泳ぐだけではない。あらゆる光の存在とともに、自然に、宇宙に、還っていくのだ。それは「計画」だった。壮大な計画で、私という人間の小さな懸念など無意味化していく、確固たる「計画」だった。誰かが立てたというわけでは、きっとない。
でもこのわずか10数人のメンバーを通して何かをなさしめたいという「確固たる意志」だった。

  雲がなくなり太陽の光で照らし出されていた場所に到着すると、既に他のイルカツアーの船が何隻か到着していた。世界中の人たちとともにイルカを軸とした遊びが展開していく。いやそこには天界の存在たち、霊的存在たち、そして人類と動物界・自然界が一つに集まった魂のパーティーの場であった。長い時間それは続いた。ただただ楽しかった。だんだんと私は自分がイルカなのか人間なのか分からなくなった。一体全体、自分は何者なのかが、分からなくなっていった。

この後もまた多くのイルカの群れと遭遇し、私たちの船は100頭あまりのイルカに先導されていた。その後も何度かイルカと泳いだ後、美しい湾にいきシュノーケルを楽しむこととした。

何人かの参加者は、完全にシュノーケルをマスターして、イルカのように水中でクルクルと回りながら泳いでいる。10メートル近い深さも軽々とクリアーして潜水していく。透明度の高い海と色彩豊かな魚たちと戯れていた。とても美しい光景だった。

きっと彼らはもう元には戻れない。彼らの細胞のなかで呼び覚まされた自然の叡智は、今後もずっと彼らに何かをささやき続けるに違いない。彼らが、このあとの人生のなかでそれをどのように翻訳していくのか、楽しみでならない。

【 イルカとの出会い第三日目 】
この2日間の間に智穂さんは私の変化を感じ取っていたようだ。私はイルカとともに泳いでいるとき、すべてを手放してもいいと思っていた。3日目の朝食のとき、智穂さんから、「海に還っていなくなってしまうのはakuaのツアーではなく、個人で来たときにして下さいね。その後の後処理が大変ですから。」と釘をさされた。死んでもいいとは思っていなかったが、この素晴らしい神秘のためには、命はたいして重要ではないのでは、とは思っていたところだった。私はもっと落ち着かなくてはならない。

私たちに「完全に見守られている」という感覚を呼び起こしてくれるイルカたち。そして瞬時に「気付き」と「絶対なる安心感」が宿ってくる。イルカはともすれば無邪気で子供っぽい存在と見られがちだ。彼らの愛らしい表情ゆえだろう。しかし彼らとともにいれば分かる。常に深い叡智と安らぎを湛えていることが。彼らは完全に平和なのだ。
完全に、許し許されていることを、知っている存在なのだ。

今回のツアーを通して驚いたことは、智穂さんのイルカとの交信だった。人と話すようにイルカと会話している。「今日はいついつにどこどこで待っているよ。」とイルカが智穂さんに話し、智穂さんはそれに応える。朝、皆と会う前の、彼女の儀式だった。そのとき、辺りの空気は神聖で軽やかなものとなる。結果的に100%彼女の交信した通りになっていた。この3日目の朝、彼女は泳がずに、イルカと私たち人間とのコーディネートに専念すると言っていた。

そして、彼女は船の上からイルカと人間との出会いを司っていた。私たちは泳ぎながら船上にいる彼女を見る。彼女が指し示す。そこでイルカは私たちを待っている。徐々に両者の距離が縮まっていき、肉体を持った魂たちのパーティーがはじまる。この日、彼女は、船上で私たちとイルカの水先案内をする、美しき女神、であった。

このとき、2時間は海の中にいつづけた。その間、彼らと泳ぎ続けた。最初のうち、私たち以外にも2,3隻の船がその湾にいてイルカとの泳ぎを楽しんでいた。いったんイルカ達の姿が消えたかに見えた。15分程のことだった。だが海底で数十頭が集まり、じっとしているのが感じられた。 どこにも姿は見えない・・・・。だが、太陽の光が海底に射し込んでいるその果てに、確かに彼らがいることが感じられた。何かを交信しあっている。時々彼らの鳴き声が聞こえてくる。何らかのタイミングを見計らいながら、彼らはすべてと交信していた。すべてに気付いていようとする意志が感じられた。

私たち以外の船が引き上げていって、10分ほどしてからだろうか。一斉に彼らが動き出した。皆で70~80頭はいただろうか。直径50メートルほどの大きな円のなかに10メートルほどの小さな円をいくつか形づくりながら、円運動をしていく。あたかも、「この動きがあなたがたの目指す新しい創造活動の基盤だ」と教えているかのようであった。

イルカは、私たち人類がグループで進化していく際の、道しるべを与えてくれる存在だ。それは彼らが常にグループで行動し、かつ自由であり、自立しているからだ。イルカの種類によってグループの形成の仕方も異なっているらしい。血縁を重視してグループを形成するものもいれば、ほとんど血縁を意識しないでグループを形成していく種類もいる。

グループや組織のトラウマは誰もが持っている。権威への抵抗、束縛感、組織的圧力、孤独感や疎外感、上に立つものとしての不安感や決断への抵抗、等々。彼らはそこから自由になるための、動き方や考え方を私たちに提示しようとしている。そしてそこから自由になったとき、真の共同創造がはじまりすべてが歓びに包まれる。

彼らの円運動はゆるやかに続き、それに上下運動が加わる。つまり、常に海面には10~20頭前後のイルカが姿を現し、海底にはその数倍のイルカ達が潜行しているのだ。そして太陽の光が海底に射し込んでいる、まさにその場所で、彼らはしばらく静かに数分間じっとして、その後ゆるやかに浮上してくる。まるで、光を感じ、光そのものになってから、私たちの前に姿を現してこようとしているかのようだった。

この日を境に私の中でなにかが変わった。2時間ものあいだ、ひたすらイルカたちと泳ぎ続けるということが、どのような感覚か分かるだろうか。 上下左右360度、彼らに囲まれている。そしてその間、彼らは「彼らの光」を放射し続けるのだ。

その光を受けながら、私は、流れにのろうと決めた。完全に、この宇宙の流れにのろうと、決めた。そのためには、自分の能力や器はおそらく関係ない。必要なことは、彼らのように、すべてからの、有形無形すべてのものからの自由を感じながら、共同創造を楽しんでいく意思だ。

<セドナツアー紀行文>

~2007年 冬~ 沢渡和
セドナは自分自身を前に運んでくれる。新たな使命に向かって歩ませてくれる。セドナから帰国後、それまでとは違った形で創造的・意欲的になっている自分に気づくとき、セドナの目に見えない力や影響力を思い知らされることになる。

今回のセドナは目まぐるしい天候を楽しんでいく旅でした。雨、あられ、雪、そして驚くばかりの青空が見えたと思いきや、その後は重く灰色に垂れ込める深い雲がやってくる。こうしたすべてが数時間毎に現れてくる天候でした。それでも雪に覆われたセドナは言葉を失う程の美しさで地球離れした感覚を起こさせます。赤茶色を基調としたセドナの景色が一変していくのです。

白いセドナ、グレーを基調としたセドナは私たちを内面奥深くに導いていきました。「あなたにとって大切なものは何か? 必要なものは何か?」という問いを常に投げかけられていた気がします。その問いを見つめていく過程のなかで起きる、今までの慣れ親しんだ自分の破壊と、ほぼそれと同時に気づく自分の新たな側面の発見が連続的にある一貫性を持って、意識の奥深くで起きていた気がしています。私だけでなく参加者の意識のなかでも起きていたことでしょう。

今回のように天候が目まぐるしく変わるときのツアーは、次に何をすべきかで特にストレスがかかってくるのですが、それでもやはりツアーはいいものだ、セドナは素晴らしいと改めて思った旅でした。

セドナからツーソンへ
ツーソンで出会う石たちは、それはそれは輝いています。
掘ったばかりで、まだ人々のあらゆるエネルギーに触れていない、
影響を受けていないフレッシュな状態なのです。
まだ私たちが見知らぬ石に出会えるのも楽しみのひとつです。
石が好きな人はもちろんのこと、石のサポートを受けたいと願う人にとって、ワクワクする場所でもあります。
また、この時期のセドナはとても神秘的です。街ではジリジリと日差しが射しながらも、山は雪に覆われているのです。山の中腹にある公園では、雪の結晶が肉眼で見ることが出来ます。
各パワースポットも澄んだ空気の中存在し、私たちの心を洗わします。
この2つの地での出逢いは、あなたをまた新たなスタート地点に立たせてくれるでしょう。

ツーソンショーでは私たちも含めて参加者の皆さんも多くのクリスタルを購入されていました。それもそのはずで、見る石の多くが採掘したてで生き生きとしているのです。1週間いても飽きることはないでしょう。日本では見ることの出来ない、大きな石や貴重で高価な石、珍しい石の宝庫なのです。 石が好きな方は是非一度ツーソンショーに行くことをお勧めします。購入してきた石を戻ってきて改めて見ても、その素晴らしさに見惚れてしまいます。
akua dayではakuaを一般の方に開放しています。新しい石も沢山増えています。
お時間のある方はお誘いあわせの上遊びにお越し下さい。


~2006年 秋~ 沢渡和
皆さん こんにちは
私たちは今、セドナでツアーをしている真最中です。
今回はセドナツアーでは初めての試みとしてチャネリングのセミナーを開催しました。通常のセミナーとの違いは、ここセドナでセミナーを開催すると時間・空間の概念が変わってしまうことです。わずか1時間前のことが、昨日よりもっと前の出来事のように感じてしまうスピード感を皆、感じています。ここセドナでは時間の概念はすでに崩壊しつつあるのかもしれません。
この時期のセドナは初めてでかなり暑いのではないかと事前に思っていたのですが、こちらもすっかり秋で日中非常に快適に過ごすことが出来ています。木々の葉も色付き始めています。そしてセドナは何度来ても驚くばかりの力で自然が迫ってきます。
どこを見ても何らかの計画の力が働いているとしか思えないまでの力で迫ってきます。

木々の木漏れ日が美しい。また太陽の光が美しい。空が近くそして広く感じられる。
雲が様々に形を変えていく。ただぼんやりと、過去のこと今のことそしてセドナでの出来事に思いをはせながら木々や赤い土の岩山を眺めて過ごす時間はとても美しいものです。セドナは美に溢れています。すべてが自律し屹立しているなかに「愛」があります。
そしてスピード感溢れる「流れ」があります。セドナは地球のチャクラであるがゆえに地球そのものの性質を、いつも内包しているのです。今の地球の性質とは変化であり自律であり拡張です。
今回私たちのセドナツアーへの参加が2回目となる方もいらっしゃいましたが、その方々がおっしゃることは、「全く前回と異なった印象である」ということです。セドナはその時々の地球の状態、個人の状態、人類の状態を色濃く反映しています。


~2005年 春~ 沢渡和
かつて、セドナを訪れる人の多くはスピリチュアルな探求をしている人で、そのような人々が世界中から集まっていました。少なくとも2004年まではそうでした。ところが今年は極々普通の(余りスピリチュアル、スピリチュアルしていないという意味でごく普通の)アメリカ人でセドナの街が賑わっていたのです。昨年から一昨年にかけてセドナが全米一の景勝地として選ばれたからです。ウキウキとしたまたリラックスした観光客が街の中心地には溢れていました。交通量も今までの倍近くになった気がします。5,6年前のセドナは皆ゆったりとした運転をしていましたが、今年は後ろの車にピタッとくっつかれてプレッシャーを感じることもしばしばでした。

ですが、こうしたセドナを訪れる観光客の変化がかえって私たちに恵みをもたらしてくれたように思います。スピリチュアルな学びの場で時折感じる、ある種のズシンとした重いエネルギーを今回は全くと言っていいほど感じませんでした。私たちもウキウキとした高揚した感覚で各エネルギースポットを体験することが出来ました。
セドナにいろいろあるエネルギースポットのなかでも、今回は参加者全員が"キャセドラル・ロック"に焦点を当てていました。2つの大きな赤い岩の間にイエスとマリア様が背中合わせに立っているように見える地です。ここは両極性(男性性と女性性、陰と陽、等)のバランスを維持することで統合的な視野を人々に与える、と言われています。
この場にいると、自然と自分自身の内面のバランスがとれ、心に平安が訪れる体験を誰もがするようです。この地を2回訪れたのでトータルで丸一日はキャセドラルロックに居た計算になるのですが、それでも皆さんはもっともっと居たかったようでした。

大きな岩の間にマリアとイエスが背中合わせに立っているのですが、あの地点まで登っていくと、その奥にまさに両極性のエネルギーをバランスさせている岩の柱があったのです。頂上近くまで登ったのは今回が初めてでしたので、今までは、私たちもあの岩の存在には気づきませんでした。この岩の前にいると、心地良さと満たされた感覚(愛されているという感覚)で立ち去りがたくなります。太陽の光と鳥のさえずりが祝福をしてくれてもいます。ゆったりと瞑想をする静かな時間が与えられました。それは何度もセドナに行っている私にとっても、かけがえのない時間でした。

参加者の方が仰っていましたが、3億年前には砂漠だったこの地が、今のような美しい岩の形状を人々のもとに現し、この人類の変化のタイミングで世界有数の景勝地に選ばれたことは、何かとても意味があることのように感じます。そもそも自然の雨風の風化によってあのような姿になることは、一目でもその姿を見るならばとても信じられないことでしょう。そこには何らかの意志、計画があるとしか思えないのです。
今回の旅は、今までに増して、益々セドナを好きになった旅でした。一人でも多くの方にこのエネルギー体験とセドナの類い希な美しさの体験をしていただきたいと願っています。


~2005年 春~ 智穂ゆり子
長期滞在中、住人も驚くほど寒い日やジリジリと肌を焼き付ける太陽の照る日、台風がきたような土砂降りと、いろいろな日々を体験しました。
ある晴天の日、キャセドラルロック全体が見える国立公園で「Your fairy Essence」をつくりました。
皆で瞑想をした後、一人ずつ向かい合いエネルギー転写とメッセージを受け取ります。

滞在中に皆さんエッセンスを飲み始め、メッセージに納得しながら噛みしめながら過ごしたようです。いつも皆さんに愛飲いただいているのですが、海外のパワースポットでつくるエッセンスはその地の妖精のサポートも入るため、毎回とてもご好評をいただいておりわたしも嬉しく思っています。 今後もより多くの方に喜んでいただけるよう、続けていきたいと思います。
また別の晴天の日(どうしても晴れて欲しい日には、ちゃんと晴れるのです)、キャセドラルロックに登りました。
さすがパワースポット・セドナだけあって、登る途中でエネルギーがコロコロと変わり、目眩と息苦しさに見舞われながらの登頂でした。しかし、頂上のなんと素晴らしいこと。景色はもちろんですが、エネルギーが心地よいのです。現地で言われているようにイエス様とマリア様がいることを感じ、わたしをやさしく包み込んでくれたのです。頂上でわたしがいた場所は、かなりの砂で滑り、とても怖くて座り込んでいたのですが、そんなことも忘れ目を瞑り全身でそのエネルギーを受け取りました。あの時の気持ちよさは、今でも身体に残っています。 より多くの方に、あの心地よさを是非体験していただきたいと願っています。


<ボロブドゥールツアーの紀行文>

~2007年 冬~ 沢渡和
本当に素晴らしいツアーとなりました。成功の予感はありました。出発日が近づくにつれて、参加者のほとんどが内的・外的に様々な変化を抱えだしていたからです。akuaのツアーでは、参加者が自然で本来の自分に戻ろうとする力が、どこからともなく働きます。そのためツアー前には当人が抱えている不自然なものが浮かび上がってくることになります。いくべき場の力が強ければ強いほどこの現象は苛烈に生じます。不自然なものを見ることは当人にとって辛い体験となることが多いようです。他人から見るとたいしたことではないのですが、当人にとっては大変なのですね。出発前に参加者の多くが大変だったと様々に耳にしていましたので、きっと今回の旅はいいものになるな、とは思っていました。

今回はakuaとしてはじめてのボロブドゥール寺院ツアーです。またインドネシアというある意味途上国での開催も初めてでしたので準備は周到にしたつもりでした。結果、私が体調を崩したこと以外は、運営面ではさしたる大きなトラブルもなくツアーでは最も大切な要因である天候にも完璧なまでに恵まれていました。おかげで私も生まれて初めてボロブドゥール寺院から見る壮麗な日の出と朝焼けを目の当たりに出来ました。通常、朝は雲が多い地域のためなかなか見ることは出来ないようです。私の人生のなかで、最も美しい日の出でした。
ボロブドゥール寺院の構造とオーラの構造の類似性についての詳しくは2005年をご覧下さい。
行くたびに思うことはこの寺院の完全性と同時に設計者の叡智の深さです。ちょっと人間業とは思えないところがあります。参加者の多くもそのように感じられていたようです。この寺院が神秘に満ちているのも、ひょっとすると人間がつくったものではないからかもしれません。ボロブドゥールは人生すべての構造と進化の様子を象徴しています。また、全体像を見る者とそのなかを歩いている者の両者の視点が完全に意識されて創られています。そのため我々もボロブドゥールと接しているときは自然とこの両者の視点を獲得しているのです。
意識は無限に深まっていきます。曼荼羅を見た者は無数にいれども、曼荼羅のなかに入りこみながら曼荼羅を眺めた者はいないはずです。ボロブドゥールではそれが可能となります。立体的建立物ならではといえます。この寺院の設計者はそこまで計画していました。
参加者の一人が言っていたことなのですが、なにより「カッコイイ」のです。このボロブドゥールは!
  だからきっと我々の人生もすべてカッコイイ、はずです。
誰もが、意識の深みを探求していく旅となりました。セミナーではそれが必然であるかのように「存在」と「無」をテーマとして取り組むこととなります。存在と無をベースとして各人のハートのあり方を見出していくものとなりました。セミナー主催者である私たち二人の肉体は消耗する一方でした(笑)

セミナー最終日には深いマゼンダとターコイズの光に満ちた夕焼けが私たち全員とボロブドゥールを包み込んでくれました。「愛」が充ちていました。
ボロブドゥールが今のような姿を現すまで、1200年以上の時が必要でした。それまでは土に埋もれて発見されていなかったのです。今のように寺院内を歩けるようになってからまだ20数年しか経っていません。また土に埋まってしまう前にもう一度このツアーを開催出来たらと思っています。

~2005年ボロブドゥール寺院との出会い~
2005年の12月、夢のなかでボロブドゥール寺院を見ました。朝靄がかかっているなかでボロブドゥール寺院が神秘的な佇まいを見せていました。その時は、それがボロブドゥール寺院とは分からずに、様々な旅行情報誌を見て、当てはまる建造物を探しました。ようやく夢でみたものと一致した写真を探し当て、それがボロブドゥール寺院であることが分かったときは、そこに行くことが必然であるように感じました。一週間後に、私はボロブドゥール寺院でいろいろなことを思いめぐらせていました。

2007年4月の始めに突然、またボロブドゥールに行きたいと思い付き、それから一ヶ月ほどして二度目のボロブドゥール寺院のなかで新たなる発見をしていました。世界最大の大乗仏教遺跡であるボロブドゥール寺院は同時にまた、万里の長城、ピラミッドとともに世界三大遺跡の一つとされています。インドネシアの古都ジョグジャカルタから車で一時間あまりのところにあり、近くにはヒンドゥー教の世界遺産であるブランバナン寺院もある。しかし当のジャワ島の人々は90%がイスラム教徒であり10%がキリスト教徒とのこと。この地を支配した権力者の変遷がそのまま信仰の変遷となっている。ジャワは世界四大宗教それぞれの統治を受けた複雑な背景を背負っている。
信仰とは何だろう。外部的には権力や血縁を伴う強制力であり、内面的には安定・安心を求める思考的拠り所であり、自己を超えた何かへの信頼であろう。もちろん自己を超えた何かは存在するかもしれないが、外なるものと内なるものがつながっている以上、それらは常に自己の内にある。もし自己にないとするならば、それが物質化したものでない限りは、我々は永遠に発見することは出来ないであろう。だから人は物質化したものに自己を超えた何かを託す。そうして世界中に多くの寺院、神殿、教会が建立された。ここボロブドゥール寺院もそうしたものの一つかもしれない。
だが、私にはここは人間の内面世界の発達段階を示したものに思われる。祈りや神や仏陀を象徴したものではないように感じている。以下に私見(チャネリング含む)を示してみる。

ボロブドゥール寺院の改修工事が1970年代を中心に行われ、その際にすべての石をはずし一から組み直している。その際、寺院の内側からは何も出てこなかった。仏舎利や遺骨、棺も何もなくただ土だった。そしてここの最上段にある一際大きなストゥーパの中にも何もなかった。すべてが「空」なるものから生じていることを暗に示している。
ボロブドゥール寺院は数ある世界遺産のなかでも謎に満ちた建造物で、今でも学者の間では多くの見解が分かれている。19世紀の初頭、ラッフルズ(ホテルで有名)によって密林に眠る寺院が発見される。石の壁面のレリーフに描かれるのは仏教の説話であり8世紀後半から9世紀前半にかけて大乗仏教を信仰していたシャイレンドラ王朝時代に建立されたものといわれているが真実は謎のままだ。建立物の内部にまったく空間がなく、考古学的資料に乏しいこと原因の一つ。また200万個の石を使った石組み自体も接着剤になるものが一切使用されていなかったために建築技術面でも謎が多いとされている。
この寺院は土台の1辺が120メートル以上の正方形で、高さは40メートルを超えるピラミッド型の構造となっている。土台の上に5段の回廊を伴う方形層となっており、さらにその上は3段の円壇テラス、最上部に大きなストゥーパが立っている。

この構造はオーラの構造と非常に類似している。
1段目:肉体。この回廊のレリーフは仏陀が生まれるまでのエピソードが描かれている。
2段目:オーラの1層(肉体情報に関わるエネルギー層)
3段目:オーラの2層(感情に関わるエネルギー層)
4段目:オーラの3層(知性に関わるエネルギー層)

2段目から4段目までの回廊には華厳経の教えがレリーフとして施されている。具体的には善財童子が悟りを得るまで、53人の菩薩や聖人、王、娼婦などを訪ね教えを乞う旅の遍歴が128面のレリーフとして描かれている。すなわち、「学び」の過程だ。この4段目までは回廊を歩いているとき、東西南北の地点以外では一切、上層部の方を垣間見ることが出来ない。人は今起きている出来事そのものに集中せざるを得ない。そして出会いを通して、学び成長していく。出来事を通して、全体性を獲得していく。上の階に登る階段は非常に急だ。うかうかしていると引力に負け登ることが出来ない。もともとは無かったが近年、手すりが付いた。だがいつの時代も上昇するにはあきらめないこと。努力することが必要だ。

5段目:オーラの4層(ハートに関わるエネルギー層)。ここで上層部を見えなくしていた一切の遮蔽物がなくなる。見晴らしが完全なるものとなる。あたかも長いトンネルを抜け出た後のような解放感がある。ここより上の世界は円形状に並ぶストゥーパの数々だ。頂上のメインストゥーパもその完全な姿をここで始めてみることが可能となる。この回廊を歩いて分かることは、四角(正方形)の世界と丸(円)の世界との出会いだ。正方形は物質及び現実世界を現している。円は無限と完全性を示している。この位置に立つことで、物質的なるもののなかに無限を見、無限なるものから生まれ出る物質界を見ることが出来るのだ。そしてそれらの完全性も。
円形に並ぶ円壇のテラスは3段になっておりその円形状を隙間無く、ストゥーパが並んでいる。ストゥーパの中には仏像があり、外側からその仏像を見ることが出来る。このストゥーパには「穴」が空いているので、外から内部の仏像を見ることが可能だ。このストゥーパを眺める者は常に外から見ることになるため、なかの仏像が実は己自身であることに気付かない。仏像の視点から見ると、「穴」は外界を見るための窓だ。1段目と2段目では、この「窓」は菱形◇をしている。そしてたくさんの窓がある。まだ外界とのインターフェイスが多いのだ。そして◇は安定感がまだ十分でないことを示している。3段目になると窓は四角□となる。窓の数も随分と減少する。安定的に世界を見つめている「開かれた目」がある。価値判断することなくただ「ありのまま」を見つめているのだ。この円形状の世界に立つものはすでにある程度の悟りを開き、ある意味では仏(像)の意識で外界を見ている。円形状に並ぶストゥーパ一つ一つが自分自身なのだ。そしてそれは円状がゆえに無限に続いていく。人は瞬間瞬間の自分が永遠であり、今というこの瞬間しかないことを知る。
最上段の圧倒的に大きなストゥーパには窓がない。なかにも何もない。完全なる「空」だ。仏像すらない。つまり自分がない。自分がないゆえそこには原因も結果もない。あるのはすべての源、始まりとしての「空」だ。「無」だ。

「空」なるものからの旅立ちと「肉体」(物質界)からの旅立ち。それら両者が出会う場が円と四角の接点である「ハート」だ。その地において我々は「空即是色」「色即是空」(般若心経の一節)を知る。このハートの地に至るとき、思考は不要となる。思考は「ありのままの自己の全体」に留意する道具に過ぎなくなる。
創造・行為における「意図」があるのかないのか、あるとしたら自分自身のなかに「隠された意図」はないのか。外界からの影響がどの程度自己の「意図」に影響を与えているのか。こうしたもの一切への気付きが自己が100%創造主であるということに誘っていく。
ありのままの「意図」をただ見ていくとき、自己はいついかなる瞬間でも完全に「自由」であることを知る。制限のないことを知るがゆえに制限が分かる。同時に制限が、たとえそれが物質的制限であろうとも、自分にとっては制限として機能していないことを知る。「色即是空」だ。
自己のありのままのあらゆる思考を、あらゆる意図を、何ら価値判断に陥ることなく見つめる時、そしてそれにまつわる感情とともにあるとき、瞬時に、あらゆる価値観が廃棄される。そして意図することなく「空」なる地点に立つ。そこから何かが始まり、そして終わっていく「永遠の今」があなたに訪れる。その日の夜はボロブドゥール寺院を部屋から眺めることが出来る高級ホテルに宿泊してみた。部屋から夕闇の中眺めるボロブドゥールを見ていると、あたかも自分自身がボロブドゥールになっていく不思議な感覚を覚えた。

夕食時、支配人が「南十字星を見たくないか」と話しかけてこられた。見たいに決まっている。外に出ると天の川も見い出せるほどの星の数であった。教えて頂いた南十字星は、山稜の上に見えた。本当に十字がくっきりとした線でつながっていた。いにしえの人々はまさに「神聖なる十字」と思ったことであろう。

自然なる秩序は全体的にしか生じない。部分的秩序というものは存在しない。秩序は結果として調和になる。調和がないことへの無用な意味づけはやめるべきである。満天の星を見ながらそう思った。

<エアーズロックの紀行文>